2018年8月24日金曜日

旅するジャンべ(青森編) 第五夜「十和田の龍神様」

十和田神社の鳥居
第五夜は、旅するジャンべ(青森編)のクライマックスです。十和田神社に参拝した際に起こった出来事、そしてこのようなブログを書くに至った心境の変化を綴ります。

 十和田に向かう途中で巨大な龍雲を見た後は、とにかく気が急いてしまったんですが、十和田に通じる奥入瀬の道は細いのに(または細いから)渋滞がいたるところで起こっていました。びっくりですよ。未だにあんなに人気のスポットなんですね。ものすごい人ひとヒト。狭い道の途中に車がびっしり駐車されていて、ちょっと進んでは渋滞の繰り返しでした。それで、「これは十和田湖も人がいっぱいで、神社もすごい人なんだろうな。」と思っていたんですが、十和田湖はまあ、それなりの人の数でしたが奥入瀬ほどではありませんでした。

 今回の神社参拝は、自分の中では重要なものという位置付けでした。というのは、ここ最近、「今、このタイミングで、何か使命を果たさなければならない気がしてならない。でも、その使命が何かが具体的に実感できない。」というジレンマがあったんです。

 今の地球、ずいぶん天変地異のようなことが起こっています。これは、周知の事実ですね。そして、あまり知られていない事として、「それは今、地球が次のステージに入ったから。」ということがあるんです。霊的な内容から現実的な内容まで、全てが変換期に差し掛かっているんです。そして、今地球に生まれ生きている我々は皆、” 自分でその変換期に使命を持って生まれてきている ” はずなんですよ。

 問題は「使命があるのに忘れて実行していない人があまりにも多い」ということなんです。今ここに生きる我々がどう考え、どう生きるかということが、今後人類も含め地球が良い方に転ぶか、リセットされるかの瀬戸際なところにいるんです。だから、「気づいた人から、自分のできることをやるしかない」と思うのです。
 
神社参道の様子
私は、幼稚園がキリスト教の幼稚園で、小さな時にキリストや神について色々勉強したんですが、しばらくそのことを忘れていました。ただ、その後のこれまでの人生の中で、様々、霊的な学びがあり、キリストのことも含め神様の存在など、徐々に思い出して来たんです。でも、そんなことを話すと周囲からは怪しい人と思われる気がして、自分では学びを続けてきましたが、周りには(変な人と思われないように)黙っていました。
 しかし、「もう怪しまれても良いから、そういうことをオープンにしなきゃならない時期になっている。」と思うようになってきたんです。そんなことを、古代からこの日本を見つめてきた十和田神社の龍神様の前で宣言し、これからの仕事やライフワークを考えようと思ったんです。

 十和田神社に到着し、鳥居をくぐってしばらく参道を歩きました。気持ちの良い空気の場所で、自分が洗われる気がしましたね。厳格というよりは包み込まれるような雰囲気で、パワースポットだと言われる意味が実感されます。手水場で清めを行い、まずは本殿に向かいました。
 本殿は古いけれども丁寧に管理されてきたのがわかる御社でした。本殿前には結構人も多かったので、ちょっと恥ずかしかったのですが、グーダドラムを両手に掲げて、こんなことをお伝えしました。

神社本殿左に青い光が。青龍様かな?
「私は、北海道から参りました、内山と申します。私は今、自分のすべきことを為さねばならないという気持ちでおります。ジャヤンべやこのグーダドラムという楽器を使って演奏することで場を清めたり、自分がこれまで学んだことを人に伝えたりする。ということが使命と考えています。この度は今私が果たすべき方向を指し示していただきたいと思い、ご参拝させていただきました。どうか、これからの進むべき道へお導きいただけますよう、お願い申し上げます。」

 まあ、私はそういう場で声が聞こえるとかそういうことは無いので、ここでは勝手に話しかけただけなんですけど。

 十和田神社は本殿の奥に、奥の院につながる上り階段があります。以前は占場という湖畔の聖域まで行けたのですが、震災後は崩落でいけなくなりました。(2018.08現在)でも、奥の院までは行くことができるので、次はそこを目指します。




山頂の様子。左奥に巨石が見える。
10分くらい上まで登ると、広い場所に出ました。(山の頂なので、人工ではないんでしょうね。山全体が岩盤なんでしょうか。)不思議な空間でした。
 進むべき道は直進なんですが、どうにも登ってすぐ右手の巨石が気になって、岩の方に進んでみました。奥まで行けそうだったんですけど、「ここは進んじゃダメそうだな。」と直感したので、やめました。(かつての祭祀場でしょうか?)妻が同じく岩の方に来たので、「その先は行っちゃダメだよ」と伝えて、私はもとに戻って直進しました。

 かつて八郎太郎というマタギが八つ頭の龍となり悪さを働くのを南宗坊という阿闍梨が鎮めた。そして八郎太郎は十和田から離れ、八郎潟へ入った。という伝説があり、山の頂には、その南宗坊の拝殿がありました。(この部分は、八戸市の宝照院普賢院さんのブログに面白い記事がありました。こちらの記事内容が、真実のように感じます。色の違うところはリンクが貼ってあります。)まずは、そこに参拝。内容は本殿参拝の時と同じです。そして、その奥に「青龍大権現」を祀る御社。ここが、終着点になっています。こちらでも、同様に参拝を終えました。

岩を登ると、さらに小さな空間に出る。
グーダドラムを持っては行きましたが、十和田神社では何か兆しがない限り演奏をするつもりはありませんでした。山頂に登った際も、どうも演奏する場所とは違う気がしたので参拝のみのつもりでいたのですが、なんとなく「なんだ、やらん(演奏せん)のか。」と言われているような気もしていました。どうしようかなあ。と迷いながら基の道に戻ったところ、後から来ているはずの妻の姿が見当たらなくなっていてビックリ。(なんせ、広いと言っても見渡せる場所ですから)「は!?もしかして、神隠しか!?」とも思いましたが、そんなわけはないので、とりあえず最後に見かけた巨石付近まで戻ると、その岩に登れる鉄梯子があることに気づきました。(ここ、きっとほとんど誰も気づかない場所だと思います。)


 で、その梯子を登ると、やはり妻がいました。こういうところを見つけるの、上手いんですよね〜。(私もそうですが。)ちょっと宮島の弥山に雰囲気似ていて、十和田神社内の他の場所とはまた違う雰囲気です。私には十和田神社の中で一番パワーを感じる場所でした。

 その岩場に登った瞬間、ここなら演奏すべきだ!と感じ、グーダドラムを取り出し、祈念を終え、演奏を始めたんですが、音の響きがすごいんですよ!岩との関係なのか、場の関係なのか、今まで感じたことのない共鳴なんです。ビックリでした。(妻には音の変化がわからなかったそうです。奏者だけが感じたみたい。)そして、演奏を始めた直後に、それまで無風だったあたりが山の下からの突風で「ザザザザザア!!!」とざわめき出したんです。「青龍大権現のエネルギーがブワッと上がって来て、山頂上空でぐるぐる回っているとしか思えない状況になっていました。これまでも、伊勢神宮などで何度か「神様の気配」を感じることはありましたが、今回の実感はすごかったです。(汗)自分だけではなく、普段はそんなことを言わない妻も「あれは龍が通ったとしか思えない。」と言っていました。頭上にそんなエネルギーを感じながら、演奏を続けていました。

突風が来る前の一枚。右奥の岩の上に、依代のような御社が見えます。

 この出来事の意味は、本殿での「自分で今できることを実行に移すこと。」を推し進めよ。という、青龍大権現様からのメッセージと受け取り、「躊躇することなく、邁進いたします。」と宣言して、十和田神社を後にしました。

 そして、このブログを書き始めた次第です。m(_ _)m (第五夜、おしまい)

0 件のコメント:

旅するジャンべ(青森編) 最終夜 「物事は加速する」

旅するジャンべ(青森編) 最終夜 「物事は加速する」  旅するジャンべ、今日は青森編の最終回で、帰着後の話。龍神様に後押しをされると、物事が加速度的に次のステップに押し上げられるといいます。その分、後押しされている側もやるべきことを推し進める必要があるんですけどね。そん...