2018年8月28日火曜日

旅するジャンべ(青森編) 最終夜 「物事は加速する」

旅するジャンべ(青森編) 最終夜 「物事は加速する」


 旅するジャンべ、今日は青森編の最終回で、帰着後の話。龍神様に後押しをされると、物事が加速度的に次のステップに押し上げられるといいます。その分、後押しされている側もやるべきことを推し進める必要があるんですけどね。そんな思いで、このブログを書きあげています。まずは、出来事をまとめ、そして次へ!という気持ちです。

 帰着後の出来事 その1 「ジャンベの皮が破れている」


 帰ってみると、ジャンベの一本の皮が破れていまいた。このジャンベは「タッドポール(オタマジャクシ)」という形で、東京のTDFさんオリジナルのジャンベなんですが、以前この形をベースにして持ち運びできる可変型「旅するジャンべ制作」を企画していたことがありました。
 普通に考えると、ただ皮が破れていただけ。なんですけどね。でも、買ってからそう時間は経っていないし、なんでこのジャンベが破れるんだろう?って思うんです。
 
 しばらく頓挫していた企画なんですが、『次はこのジャンベを作ることから始めよ。』というメッセージなのかな。と思っています。

 帰着後の出来事 その2 「ダニーロ強さんからメッセージをいただく」

 グーダドラムの奏者でダニーロ強さんという方がいます。いつも自分が叩いている「蒼」という曲は、ダニーロさんの曲なんですよ。この方、海外の奏者の方と比べても、本当に演奏が上手い方です。さすが第一人者です。
 そのダニーロさんから、以前ユーチューブにアップしていた動画にコメントいただきました。動画は、彫刻家の北村哲朗さんの個展でこっそり叩いた映像で、グーダドラムでの演奏は初披露でした。途中からどんどんペースアップしているお恥ずかしい映像なんですけどね。とりあえず、下手でもいいからやっていることを発信していこう!という気持ちでアップしていました。
 ダニーロさん、改めて、コメントを頂きましてどうもありがとうございました。対する自分のコメント、もう少し気の利いたこと書けばよかったなと今更ながら思いますが・・・。

 あ、そうだ。アーティスト仲間の方で、こんな感じで会場で演奏させてもらえる方いたらぜひお誘いくださいね。

 こんな具合で、これが兆しなのかはわからないのですが、次へ次へと進んでいきたいと願いながら、旅するジャンべ(青森編)は終幕となります。次は、出雲の稲佐の浜でもらった珠のことを書こうかなと思っています。またよろしくお願いします。
 



2018年8月26日日曜日

旅するジャンべ(青森編) 第六夜 「キリストの墓」

旅するジャンべ(青森編) 第六夜 「キリストの墓」



 六回に分かれてお届けしました、旅するジャンべ(青森編)は次回で終幕となります。今回の内容は、青森県十和田郡新郷村にある、「キリストの墓」についてです。


 青森にはTVでも取り上げられている、「キリストの墓」というものがあります。この場所は、「話のネタ」程度にしか考えていませんでしたが、十和田からフェリーターミナルのある八戸の間にあることもあり、立ち寄ってみることにしました。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------

 レオナルドダヴィンチの描いた、「最後の晩餐」という壁画があります。この壁画は、一般的にはキリスト最後の日の情景を描いていると言われています。しかし、実はこの場面は「キリストが復活した後の場面を描いた絵である。」という説もあるそうです。

NHKがCGで財源したダビンチの「最後の晩餐」

 また、描かれている使徒の中で、キリストの左に座っている「ヨハネ」とされてきた人物はキリストの弟子であり、妻でもあった「マグダラのマリア」ではないかといわれています。(これは、映画『ダヴィンチコード』の題材にもなってますよ。)

 この壁画では「ヨハネ(マグダラのマリア)とペテロ(その左)」が話をしているように描かれています。また、ペテロは険しい顔で中心にいるキリストを指差し、左手にはナイフを隠し持っているんです。使徒が、キリストを指差すということ自体、おかしなことですよね。しかも、「なぜ、ナイフを持っているのか?」という疑問もあります。
 
「ペテロ、ヨハネ(マグダラのマリア)、手前は裏切り者ユダ」

 この場面では、マグダラのマリアに対してペテロが「あれは本当に主(キリスト)なのか?私には以前の主には見えない。もし、主の復活を謀った別人ならば、私がこの場で殺してやろう。」と問いかけていると読み取ることもできます。それに対し、マグダラのマリアは、「あれは確かに主(キリスト)です。」と言っている。

(↑あくまでも、私の推測ですよ。)




 ここで、気になるのがペテロが復活したキリストを以前とは別人と感じているところです。この部分は、復活したキリストの容姿が以前と違っていたのではないかと考えます。


 人間の体は現世で活動するための器にすぎません。そこに魂が宿ることで人間となるのですが、現世には、人々を導くなど必要な使命を帯びて「高次元の魂」が人として受肉し、一定期間人として暮らすことがあるそうです。(インドのサイババや仏教を興した釈迦、そしてキリストもそうだったと言われています。)

そして、「キリストは兄弟の体を借りて復活した」という話があります。

 キリストの場合、磔刑になった後に復活するという奇跡を見せることが重要だった。しかし、一度機能を止めた体には魂は入ることができない。そこで、兄弟の体に入れ替わってキリストの魂が入り、「キリストの意識として復活した。」ということなのではないかなと考えています。そう考えると、ペテロがキリストを疑ったことが理解できます。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 さて、長い前置きでした。ここから、「キリストの墓についてです。」

「キリストの墓」のある新郷村は、1995年(昭和30年)に村の合併でできた名前で、それ以前は「戸来(へライ)村」でした。「へライ=ヘブライ=古代イスラエル」につながる名前ですね。そもそも、この村は、昭和10年に北茨城市にある高祖大神宮という場所で、竹内巨麿という人が見つけた古文書に書かれた内容をもとに見出されたされた村なんですね。近くには古代祭祀を行ったピラミッドもあって、何やら怪しい(いい意味で)空気感を感じる場所です。

 この村では今でも様々な、“ 日本的ではない ”風習が残っています。「ナニャドヤラ」という踊りもその一つで、青森では有名です。これらの風習は現地に行ってみると、村に古(いにしえ)から伝えられ、受け継がれてきたことがわかります。



 キリストの墓には、階段を登っていくと向かって右のキリストの墓、左手に「弟のイスキリの墓」があります。説明では、かつて磔刑となったのは弟のイスキリで、キリストは難を逃れて戸来村にたどり着き、そこで生涯を終えたとなっています。
 
 話のはじめに描いた、「魂が兄弟に受肉して復活した。という話と相まって、キリストの兄弟の墓がある。というあたりに、キリスト復活の真相がある気がしてなりません。
手前「弟イスキリの墓」、奥「キリストの墓」

----------------------------------------------------------------------------------------------------
 
「水木しげる先生の古代出雲」
 
 最近の自分の中のテーマに「出雲族」というものがあります。東北だと、「蝦夷(エミシ)」「縄文」「アラハバキ」、京都では「穢多」「秦氏」「ギオン」。これらのワードが「出雲」と関わりがありそうだと調査中です。そしてさらに繋げると「古代ユダヤ」との関連があるようで、日本人のルーツと古代ユダヤの関わりはこれから重要になるとも言われています。

「ユダヤ」と「キリスト」という共通性から、青森に「キリストの墓」があるということに興味を感じたわけです。う〜ん、なんか東北は色が濃い!と思い始めています。

 
 ちなみに、「新郷村には信号がなかった。」そうですが、最近一つ信号がついたみたいです。また、青森は「ミニ・ストップ」というコンビニが多いのですが、新郷村には「キリ・ストップ」という売店があります。新郷村プチ情報でした。

 新郷村の「キリストの墓」に立ち寄ることがあったら、墓だけでなく、ぜひ資料館にも入ってみてください。
 中央に地球儀が置いてあり、様々な文明が起こった場所を記しているんですけど、太平洋の真ん中あたりに「ムー大陸」と「レムリア大陸」、そして大西洋に「アトランティス大陸」と記してあったりと、個人的には、この地球儀に萌えました(笑)小さな資料館ですが、普通にこんな資料を展示している所ってないなと思います。興味深い所です。
 



 次回の、帰着後の番外編を持って旅するジャンべ(青森編)、完結です。

2018年8月24日金曜日

旅するジャンべ(青森編) 第五夜「十和田の龍神様」

十和田神社の鳥居
第五夜は、旅するジャンべ(青森編)のクライマックスです。十和田神社に参拝した際に起こった出来事、そしてこのようなブログを書くに至った心境の変化を綴ります。

 十和田に向かう途中で巨大な龍雲を見た後は、とにかく気が急いてしまったんですが、十和田に通じる奥入瀬の道は細いのに(または細いから)渋滞がいたるところで起こっていました。びっくりですよ。未だにあんなに人気のスポットなんですね。ものすごい人ひとヒト。狭い道の途中に車がびっしり駐車されていて、ちょっと進んでは渋滞の繰り返しでした。それで、「これは十和田湖も人がいっぱいで、神社もすごい人なんだろうな。」と思っていたんですが、十和田湖はまあ、それなりの人の数でしたが奥入瀬ほどではありませんでした。

 今回の神社参拝は、自分の中では重要なものという位置付けでした。というのは、ここ最近、「今、このタイミングで、何か使命を果たさなければならない気がしてならない。でも、その使命が何かが具体的に実感できない。」というジレンマがあったんです。

 今の地球、ずいぶん天変地異のようなことが起こっています。これは、周知の事実ですね。そして、あまり知られていない事として、「それは今、地球が次のステージに入ったから。」ということがあるんです。霊的な内容から現実的な内容まで、全てが変換期に差し掛かっているんです。そして、今地球に生まれ生きている我々は皆、” 自分でその変換期に使命を持って生まれてきている ” はずなんですよ。

 問題は「使命があるのに忘れて実行していない人があまりにも多い」ということなんです。今ここに生きる我々がどう考え、どう生きるかということが、今後人類も含め地球が良い方に転ぶか、リセットされるかの瀬戸際なところにいるんです。だから、「気づいた人から、自分のできることをやるしかない」と思うのです。
 
神社参道の様子
私は、幼稚園がキリスト教の幼稚園で、小さな時にキリストや神について色々勉強したんですが、しばらくそのことを忘れていました。ただ、その後のこれまでの人生の中で、様々、霊的な学びがあり、キリストのことも含め神様の存在など、徐々に思い出して来たんです。でも、そんなことを話すと周囲からは怪しい人と思われる気がして、自分では学びを続けてきましたが、周りには(変な人と思われないように)黙っていました。
 しかし、「もう怪しまれても良いから、そういうことをオープンにしなきゃならない時期になっている。」と思うようになってきたんです。そんなことを、古代からこの日本を見つめてきた十和田神社の龍神様の前で宣言し、これからの仕事やライフワークを考えようと思ったんです。

 十和田神社に到着し、鳥居をくぐってしばらく参道を歩きました。気持ちの良い空気の場所で、自分が洗われる気がしましたね。厳格というよりは包み込まれるような雰囲気で、パワースポットだと言われる意味が実感されます。手水場で清めを行い、まずは本殿に向かいました。
 本殿は古いけれども丁寧に管理されてきたのがわかる御社でした。本殿前には結構人も多かったので、ちょっと恥ずかしかったのですが、グーダドラムを両手に掲げて、こんなことをお伝えしました。

神社本殿左に青い光が。青龍様かな?
「私は、北海道から参りました、内山と申します。私は今、自分のすべきことを為さねばならないという気持ちでおります。ジャヤンべやこのグーダドラムという楽器を使って演奏することで場を清めたり、自分がこれまで学んだことを人に伝えたりする。ということが使命と考えています。この度は今私が果たすべき方向を指し示していただきたいと思い、ご参拝させていただきました。どうか、これからの進むべき道へお導きいただけますよう、お願い申し上げます。」

 まあ、私はそういう場で声が聞こえるとかそういうことは無いので、ここでは勝手に話しかけただけなんですけど。

 十和田神社は本殿の奥に、奥の院につながる上り階段があります。以前は占場という湖畔の聖域まで行けたのですが、震災後は崩落でいけなくなりました。(2018.08現在)でも、奥の院までは行くことができるので、次はそこを目指します。




山頂の様子。左奥に巨石が見える。
10分くらい上まで登ると、広い場所に出ました。(山の頂なので、人工ではないんでしょうね。山全体が岩盤なんでしょうか。)不思議な空間でした。
 進むべき道は直進なんですが、どうにも登ってすぐ右手の巨石が気になって、岩の方に進んでみました。奥まで行けそうだったんですけど、「ここは進んじゃダメそうだな。」と直感したので、やめました。(かつての祭祀場でしょうか?)妻が同じく岩の方に来たので、「その先は行っちゃダメだよ」と伝えて、私はもとに戻って直進しました。

 かつて八郎太郎というマタギが八つ頭の龍となり悪さを働くのを南宗坊という阿闍梨が鎮めた。そして八郎太郎は十和田から離れ、八郎潟へ入った。という伝説があり、山の頂には、その南宗坊の拝殿がありました。(この部分は、八戸市の宝照院普賢院さんのブログに面白い記事がありました。こちらの記事内容が、真実のように感じます。色の違うところはリンクが貼ってあります。)まずは、そこに参拝。内容は本殿参拝の時と同じです。そして、その奥に「青龍大権現」を祀る御社。ここが、終着点になっています。こちらでも、同様に参拝を終えました。

岩を登ると、さらに小さな空間に出る。
グーダドラムを持っては行きましたが、十和田神社では何か兆しがない限り演奏をするつもりはありませんでした。山頂に登った際も、どうも演奏する場所とは違う気がしたので参拝のみのつもりでいたのですが、なんとなく「なんだ、やらん(演奏せん)のか。」と言われているような気もしていました。どうしようかなあ。と迷いながら基の道に戻ったところ、後から来ているはずの妻の姿が見当たらなくなっていてビックリ。(なんせ、広いと言っても見渡せる場所ですから)「は!?もしかして、神隠しか!?」とも思いましたが、そんなわけはないので、とりあえず最後に見かけた巨石付近まで戻ると、その岩に登れる鉄梯子があることに気づきました。(ここ、きっとほとんど誰も気づかない場所だと思います。)


 で、その梯子を登ると、やはり妻がいました。こういうところを見つけるの、上手いんですよね〜。(私もそうですが。)ちょっと宮島の弥山に雰囲気似ていて、十和田神社内の他の場所とはまた違う雰囲気です。私には十和田神社の中で一番パワーを感じる場所でした。

 その岩場に登った瞬間、ここなら演奏すべきだ!と感じ、グーダドラムを取り出し、祈念を終え、演奏を始めたんですが、音の響きがすごいんですよ!岩との関係なのか、場の関係なのか、今まで感じたことのない共鳴なんです。ビックリでした。(妻には音の変化がわからなかったそうです。奏者だけが感じたみたい。)そして、演奏を始めた直後に、それまで無風だったあたりが山の下からの突風で「ザザザザザア!!!」とざわめき出したんです。「青龍大権現のエネルギーがブワッと上がって来て、山頂上空でぐるぐる回っているとしか思えない状況になっていました。これまでも、伊勢神宮などで何度か「神様の気配」を感じることはありましたが、今回の実感はすごかったです。(汗)自分だけではなく、普段はそんなことを言わない妻も「あれは龍が通ったとしか思えない。」と言っていました。頭上にそんなエネルギーを感じながら、演奏を続けていました。

突風が来る前の一枚。右奥の岩の上に、依代のような御社が見えます。

 この出来事の意味は、本殿での「自分で今できることを実行に移すこと。」を推し進めよ。という、青龍大権現様からのメッセージと受け取り、「躊躇することなく、邁進いたします。」と宣言して、十和田神社を後にしました。

 そして、このブログを書き始めた次第です。m(_ _)m (第五夜、おしまい)

2018年8月20日月曜日

旅するジャンべ(青森編) 第四夜「十和田神社の龍神様」



  旅するジャンべ青森編、今回は旅の一番の目的、十和田神社についてです。ここは
今回の旅の本題。ちょっと長くなりますが、自分が一番伝えたいところです。
※文字の色が変わっているところは、それぞれの方のブログなどにリンクが貼ってあります。

 龍神。最近、世間で特に話題になっているキーワードです。今までそんなに龍神、龍神と言われることはなかったように思いますが、ここ数年その人気はうなぎのぼり。いや、
小野寺S一貴さんの書籍
龍のぼりか。その理由の一つにあるのが、小野寺S一貴さんの書いた「妻に龍が付きまして」という書籍だと思います。この本は、一貴さんの奥さんのワカさんを子供の頃から見守ってきた龍神の「ガガさん」がある日突然、ワカさんの口を借りて話しかけてきたことから始まったお話で、最初は訳が分からず龍神を追い出そうとしたようですが、次第にガガさんの教えを学ぶようになり、最後はその教えを広めようとし始める。そして、その教えを学ぼうとする人の輪が広がり、書籍化となったそうです。今では、その続編や教えを実践するノートなども発刊され、大変な人気となっています。
 ここ10年ほどの間に、精神世界や神様の世界、いわゆる「スピリチュアルな世界や考え方」を内容とした本が驚くほどのペースで発刊されてきました。一昔前は「心霊」や「U.F.O.」など「ちょっと嘘くさいけれど話のネタ」のような扱いをされていた部分が、今ではある程度認知され、または真剣に語られる時代になったことを感じます。今多くの人が気づき、知るべき時だと思うので、とても良いことだと思うんですね。
 それで、龍神様の話に戻りますが、今年の5月ころだったでしょうか。家から少し離れた所に、龍のような雲が浮いていたんですよ。(以後、龍雲と言います)「龍雲はそこに龍神様がいる兆し。」という話があり、また、「龍神様は太鼓の音が大好き。」ということを聞いていてので、その雲に「龍神様、龍神様は太鼓がお好きだと聞いたので何か私にメッセージを送ってくれたら、太鼓を叩きますよ。」と(心の中で)なんの気なしに話しかけたんです。
 すると、その日からものすごいスピードで龍神情報が入ってくるようになりました。(汗)まずは今ユーチューブでものすごい反響が起こっている、橋爪大輔さん」の龍神三部作という映像を知り、そのつながりで三重県でスピリチュアルカウンセラーをしているSHIORIさんを知り、(その頃にはもう少し深く知りたくなったので)小野寺S一貴さんの本を読みと、自分で望んだ部分もありますが龍神情報が自分の周りに溢れ出しました。
 私は前々から、おじいちゃんが生前に蛇を祀っていて、今思えばですが子供の頃から蛇や龍に興味があり、または時々夢の中で誰かに、「あの台風の中心には龍神がいるから近づかないように」とか、(ものすごい巨大な怖い顔の龍が空を通過するのを指して)「ああいった龍に触れてはいかんよ。」なんていうふうに「龍神様」について教えてもらうことがあったり、(心の中で)お願いすると自分が望むように天気が変化することがものすごい確率であったりと「龍神様」に縁があるとは感じていたんですが、今回の龍神情報は「龍神様ハンパないって!」というくらいのスピードだったので、「これはちょっとどこかに参拝に行かなければ!」という気持ちにさせられたんですよ。(もちろん、メッセージのお礼に早速太鼓は叩きましたよ。)
 それで、自分の住まいの近隣で龍神様を祀っているところはないかとネットで調べたところ、小樽市の「竜宮神社」、余市のフゴッペにある「金吾龍神社」というところが見つかりまして。早速次の週末にその2つに詣でてみました。(この部分は第一夜で触れていますので、省略します。気になった方は、第一夜をご覧くださいね。)
 さて、今回の帰省が決まりまして、下北以外にどこか行きたいところはあるかという話になった時、第一夜の厳鬼山神社と十和田神社をあげました。この2社はどちらも古い時代からの龍神様を祀っている神社なんですね。基本、龍神様は神様の眷属といって、神様にお仕えするのが仕事なんですが、古くからそこで祀られている龍神様は神格化されている場合があるんです。(箱根の芦ノ湖の九頭龍神社の龍神様とかですね。)で、十和田神社はというと青龍大権現様といって、こちらも格の高い龍神様なんだそうです。そんな龍神様なので、一度参拝したいと思ったのです。思えば、10年前くらいにまだ修学旅行が青森へ行っていた頃、引率で「乙女の像」のところに生徒を連れて行く際に、やたら左側の神社が気になったことを思い出しました。今思えば、それが十和田神社だった訳です。そう考えると、ずいぶん前から呼ばれていたのかもしれないですね。
十和田神社に到着
十和田神社へは、七戸から奥入瀬を通るルートで向かいました。あの山超えたら、十和田湖だなあ。というあたりに差し掛かった頃、ふと空を見上げると雲がめちゃくちゃ大きい龍みたいになっていて、特に顔の部分が今まで見たことがないくらいはっきり龍みたいになってました。十和田神社に行くにあたっては、余市のフゴッペの金吾龍神社でも、厳鬼山神社でも、「次は十和田神社に詣でます。」と明言していたので、十和田の龍神様に情報が伝わっていたのかもしれませんね。「これは、ちょっと心して参拝せねば!」と思いましたね。(ちなみに、写真は恐れ多くて撮れませんでしたよ。)
 ここから、神社参拝の話になるのですが、ちょっと長くなりすぎたので第五夜に持ち越します。そのあと「キリストの墓編」もあるので、第六夜まで続くと思います。マニアックすぎて、ついて来れないですかねえ。でも、これも使命なので、構わずマニアックに突き進みますので、ぜひまた、ご覧下さい。それではトゥービーコンティニューです。
狛犬がカワイイ。うちの子猫のレアに似ている。


2018年8月19日日曜日

旅するジャンべ(青森編) 第三夜 「聖地 恐山」


 旅するジャンべ青森編第三夜は下北半島の聖地「恐山」ですよ。恐山というと、私たちの年代なら(40代)夏休み特番の「あなたの知らない世界」でおなじみですよね。って、知っている人いますか?私も実際に行くまでのイメージとしては「風車カラカラ、石が積み上げられており、カラスがカア〜!で、霊が現れて・・・。」みたいな感じだったんです。でも、行ってみると最近は色々整備されていて、言い方悪いですけど霊界テーマパークみたいになってます。ある意味、観光地化されすぎ?って部分もありますが。

 しかし、下北半島の方々にとっては、昔も今も変わらずの聖地なんですよ。「亡くなった方の魂はお山を通って、天に帰る。亡くなった方の魂とは、お山で会うことができる。」と、信じられていますし、実際本当だと感じています。恐山の参道に車で入った瞬間に空気が変わることも実感できますしね。
 さて、こちらも参拝は6年ぶりでした。ここに行くためには、やはり心して行くことが肝心だと思いますね。下北霊場の最大の聖地ですから。行ってみるとわかると思うのです
が、恐山の奥に宇曽利湖という湖がありますが、この湖の前に立つと心がスッとするんですよ。洗われるというか。是非一度、みなさんにも行ってほしい場所ですね。
 (恐山についての詳細は、トリップアドバイザーさんがとても上手にまとめていますので、参考にしてください。)
 今回の参拝は、お盆だったので妻の父のへのご供養と今年7月に生まれてすぐ虹の橋を
渡った子猫の空虹(アコ)と虹春(コハル)の鎮魂・供養、そして東日本大震災以後亡くなった方々への鎮魂を目的としていました。宇曽利湖の湖畔には、大震災後に建てられた慰霊碑があります。2つの鐘があって、左の鐘は「希望」、右の鐘は「鎮魂」で、訪れた方々は鐘を鳴らします。
 私は、湖畔でグーダドラムを献奏しました。ここでは、ダニーロ強さん作曲の「Aoi −蒼−」を演奏しましたが、こんな場面ではとてもいい曲ですね。映像もあるので、ご覧ください。この曲、ダニーロさんは生命の息吹をイメージして作曲されたようですが、神聖な場所で奏でると気持ちがスッとしました。この曲は次の日に十和田神社でも演奏したんですが、その時には、すごい出来事がありましたよ。(これは、第4夜に書くつもりです。)




(追記)
 この日の夜は久しぶりに親族が集まって、庭で焼肉をしたんですよ。中学生だった甥っ子たちがもう20歳を超えていて、一緒にお酒を飲めるようになっていて時の流れの速さに驚きました。そして、その夜はどうも寝付けなくて、「暑いし飲み過ぎかな〜」なんて思っていたんです。で、暑いので窓を開けたら、いつのまにか寝ていました。そして朝になったら、開けたはずの窓が閉まっているんですよ。妻に聞いても閉めていないということで、ちょっとした不思議体験でした。妻曰く「父がいた気がする」とのことだったので、お義父さんが帰ってきていたのかもしれませんねえ。下北半島はそんなことが普通に起こるし、普通に話される場所なんです。本当に、霊場下北なんですよ。(笑)


旅するジャンべ(青森編) 第二夜 「秘境!仏ヶ浦」


2018.8.12 (Sat)
旅するジャンべ(青森編)第二夜は、下北半島の最西に位置する、仏ヶ浦です。

 下北半島。通称「まさかり半島」とも呼ばれる、本州最北端の地であり、一昔前に放映された「あなたの知らない世界」で必ず登場した、日本三大霊場の恐山が有名です。(恐山は第三夜に登場します。)また、あまり知られていませんが、大間原発や東通村、六ヶ所村などに数々の原発施設が点在する、原発の拠点の一つでもあります。
牛滝で観光船に乗る。
私の妻は、この下北半島のむつ市で生まれました。今回の旅は、その帰省も兼ねているのですが、下北に渡るのは6年ぶりでした。地図上では北海道から近い場所なのですが、移動するとなるとルートが限られていて、ちょっとした外国に行くより時間のかかる旅程になってしまいます。
 そんな下北半島の最西に、仏ヶ浦という場所があります。現地では「海で亡くなった方の魂が、仏ヶ浦を通って恐山に行く。」と言われるように、下北霊場の一つであり、観光スポットとしても有名です。(詳しくは佐井観光株式会社さんのHPへ)
 下北半島は地図上では一周が簡単に見えますが、山岳地帯なのでむつ市以西は道が狭く車の運転がものすごく大変です。ただ、そんな道がライダーには人気なようで多くのライダーとすれ違いました。みなさん、本州最北端を目指すのですかね。バイクでの旅は、楽しいかもしれません。今回は、むつ市から川内という場所を通り、牛滝という所まで車で移動、そこから観光船で仏ヶ浦に上陸しました。
海から見た仏ヶ浦
(仏ヶ浦までは、観光船がおすすめです。陸路では見られない海からの景色も楽しめますしね。)
 以前この仏ヶ浦に訪れたのはもう8年前くらいでしょうか。やはり、霊場というだけあって、雰囲気のある場所です。観光スポットでもありますが、敬意を払って訪れるべき場所だと思いますね。8年前はまだ自分は打楽器に取り組んではいなかったのですが、その時にジャンべを持った一団がいたんですよ。ここで太鼓を叩いたら気持ちが良いんだろうな!と思ったことがありました。それから数年後、自分もジャンべを始めることになった時に、「いつかは仏ヶ浦で叩きたい!」と思いましてね。今回、積年の願いが叶ったわけです。
地蔵堂から奥の巨岩群へ
仏ヶ浦では、まずは地蔵堂にお参りします。(千社札の中に、斎藤一人さんのものもありましたね。一人さんの札は日本各地でお見かけします。)フェリーが戻ってくるまで30分しかないので、お参りの後はすぐに右手に移動して、準備に入りました。奏でる場所は決めていたのですが、そこでカップルが岩をひっくり返してフナムシを見て遊んでいるので、こちらはスタンバイしてしばらく待機していました。私はいつまでたってもあまり好きじゃないなあ、フナムシ。
 ここでは、ジャンべを使って演奏しました。岩肌からどんな音の響きがあるんだろうと
巨岩の下で演奏
期待していたんですが、音の中心にいると、聞こえる音にあまり変化はありませんでした。離れて聞いていると、反響音が重なってくるんですけどね。台風の目みたいな感じなんですかね。意外な発見でした。演奏後には、不思議な雲が出ていましたね。これは、龍というよりはお猿さんの顔みたいでした。下北はお猿さんがいますしね。何か意味があるんでしょうか。夢中になって叩いていたら30分以上経過してしまい、フェリーが行ってしまったようなので、次のフェリーまで待つことになるハプニングがありましたが、無事献奏を終了し、帰路につきました。
演奏後の不思議な雲

(豆知識)
仏ヶ浦から佐井、そしてその先の道は細く、険しくグネグネした道が続きますので、スピードも出せず時間がすごくかかります。下北移動の際は、いつもの倍以上の時間を予測する必要があると思います。後、仏ヶ浦と佐井の間に「ぬいどう食堂」と「ドライブイン」があるのですが、新鮮な海鮮物がお安く食べられて超オススメですよ!ただ、時期にもよるかもしれませんが、お昼時はめちゃくちゃ混むのでご注意を!私は「ぬいどう食堂」でウニ・マグロ・イクラの乗った歌舞伎丼を食べました。1000円ちょっとだったと思います。新鮮で美味。
※次回は、恐山へ行きます。恐山は下北の最大の聖地ですよ。おどろおどろしい雰囲気は
  もうすっかりありません。整備された心地よい場所なんですよ。

2018年8月17日金曜日

旅するジャンべ 青森編 第一夜 「厳鬼山神社」

岩木山の北に位置する。岩木山神社は山を挟んで真逆の南側。
2018.8.11(Fri)
   旅の始まりは、岩木山の北に位置する「巖鬼山神社」から。
こちらの神社は、本来は岩木山の山頂にある奥宮の下宮だった神社とのことです。その後、下宮は現在の津軽一宮、岩木山神社へ遷宮したとされています。つまり、本来はこちらの神社が本宮だったということで、開基1200年ということ。祭神は現在では大山祇神とされています。しかし、この神社は客神(まろうどがみ)として、「アラハバキカムイ」を祀っていることはあまり知られていないようです。この「アラハバキカムイ」という神様は、一説では縄文期から日本各地、特に蝦夷と呼ばれた頃の東北以北で多く祀られていた国
五所川原で買った、シャコちゃんのどら焼き
津神とも言われ、「遮光器土偶(通称シャコちゃん)がその神を現しているのだ。」とする説や、「太古から存在する龍神である。」とする説など様々ある、謎多き神様なのです。私が推測するに、元々は「アラハバキカムイ」を祀っていたところに、大山祇神を主神として後から祀ったのではないかと考えています。

 本来であれば、津軽に詣でるならまず一宮の岩木山神社にいくのが一般的なところを、なぜこの神社に向かったのか。というと、今年の6月に小樽市の外れ、余市の手前のフゴッペにある「金吾龍神社」という神社に詣ったところに端を発しています。その頃、ちょっと龍神様つながりの兆しが多くあったので、たまたま、札幌近辺で龍神様を祀っているところはないものか。と探していたところ、この「金吾龍神社」の存在を知りました。そして、とりあえず行ってみようということでジャンべを背負ってその神社へ到着。すると、その神社の祭神が「アラハバキカムイ」だったのです。その時はあまりその御祭神を知らぬまま、勝手ながらその御社の前でジャンべの献奏を行い帰宅しました。(帰りがけ、眷属の蛇さんが現れたので喜んでいただけたものと思っていますが。)
厳鬼山神社一の鳥居
 その後、「アラハバキカムイ」に興味を持ち色々と調べてみると、青森近辺にはこの神を祀っくている神社が多くあること、そんな中でも「厳鬼神社」は中心的な神社であることがわかり、今回の旅するジャンべに繋がったというわけです。

−話を戻しまして−

 一の鳥居をくぐると、参道はまっすぐに本殿に続いています。ちょっと緊張しながら、その道を進みました。社務所は離れたところにあり、境内には誰もおらずひっそりとしていました。諏訪大社の上社の感じにちょっと似ているような、古代から脈々と祀られてきたことを感じさせる雰囲気の神社で、フゴッペの「金吾龍神社」は、鳥居をくぐる前からビリビリするような厳格な空気を感じたので、こちらはさらに輪をかけてだろう。と予想していましたが、意外と穏やかな空気が漂っているように感じました。(まあ、そんなに感が強いわけではないので勝手な想像かもしれません。)
参道には鳥居が続く


本殿左脇の2柱の杉の巨木
 本殿の左脇には、樹齢1000年以上だろうと思われる2柱の巨大な杉の木が立っていました。この御神木も相当なパワーを持っているように感じられます。北海道にはこのような巨木が境内にある神社は無いので、それだけで圧倒されました。
さて、本殿に北海道から買っていった奉納用の地酒 ”男山” (増毛の国稀酒造のお酒と間違えて購入しちゃいました。)を奉納し参拝を終えましたが、この拝殿内にはあまり見たことのない鈴がたくさん取り付けられた棒状のものがぶら下がっていました。あまりこれまで見たことのない神具なので、なんだろうと興味をそそられます。(どんな意味合いのものかご存知の方いましたら、教えてください。)あとは鬼の面などもありましたが、どうも龍神様を祀っている風な感じを受けませんでした。それよりも、参道途中、右手にある池のような場所が気になったので、そちらに移動したところ、池を挟んで3つの御社が立っていました。どれも本殿に比べると小さな御社です。失礼ながら、御社の中を覗かせていただくと、向かって左手奥の御社に龍神様が祀られていいたので、こちらが「アラハバキカムイ」なのかなと、勝手に思っています。(写真は撮っていないんですよ。詳細を紹介している「誰も紹介しない津軽」さんのサイトを御覧ください。)
 さて、この龍神様のいる池の前で、今回の旅するジャンべの献奏をスタートさせました
ウクライナで作られているグーダドラムという楽器
が、こちらでは「グーダドラム」を使いました。グーダドラム、ジャンベよりも軽いので便利ですね。音色も、神社や神域にぴったり合う気がします。ジャンべだと場所を選びますし、了解を得ずに献奏するには少々気が引けますね。残念ながら、音を録り忘れたというか、神域なのであえて録らなかったんですが、記録に残すべきだと終えてから思いました。
 最初は予定していたプログラムで演奏と思ったのですが、どうも場としっくりこず、「お前が奏でる音を聞かせよ。」と言われた気もしたので途中からインプロ(即興)で叩きました。あとで、妻から「なんかいつもと違って重い感じの音だったね」と言われたので、いつもの音とは違った音になっていたようです。元々、田中泯さんの「場踊り(即興の舞踏)」のようなことがしたいと思って始めた「旅するジャンべ」でしたが、場の雰囲気を感じ取っての即興って、面白いなと思いました。以後は、必ず音録りはしてこようと思います。演奏後に、曇り空だったところがパーっと光が差し込んだので、喜んでいただけたものと思っています。そのあとの献奏もそうでしたが、神様って、結構、心を込めて音を奏でると喜んでくれるんじゃないですかね。なんて思っています。
 以上で、旅するジャンべ(青森編) 第一夜、終了です。次回は「第二夜、仏ヶ浦」でこちらは映像もありですので、またご覧下さい。




 

旅するジャンべ(青森編) 最終夜 「物事は加速する」

旅するジャンべ(青森編) 最終夜 「物事は加速する」  旅するジャンべ、今日は青森編の最終回で、帰着後の話。龍神様に後押しをされると、物事が加速度的に次のステップに押し上げられるといいます。その分、後押しされている側もやるべきことを推し進める必要があるんですけどね。そん...